浦和地方裁判所 昭和44年(ワ)855号・昭45年(ワ)2090号 判決
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〔判決理由〕一 被告引間の責任
<証拠>によれば、被告引間はもと自動車運転手をしていたが、昭和三五年から自ら貨物運送業を営み、昭和四二年四月一四日被告会社を設立し、被告引間が代表取締役に、長女の引間清子、その夫の引間国雄、二女の新井筆子、その夫の新井保夫が取締役に、同被告の妻の引間ユキほか一名が監査役に就任し、被告会社が右営業を引き継いだこと、被告会社の本店の所在地と被告引間の自宅とが同一場所であつたこと、埼玉県秩父郡皆野町大字皆野に被告会社の営業所があり、同所が被告引間の経営する秩父自動車整備工場をも兼ねていたこと、当時被告会社には、自動車運転手が三三名、事務職員が三名いたこと、自動車は主に右営業所に配置されていたこと、被告会社は主に菱光石灰株式会社の貨物を運送していたこと、しかし、被告引間は高血圧などで健康がすぐれず、逐次新井保夫に営業面を任せ、主に資金面および顧客の拡張にあたり、その他の業務は新井保夫が担当していたこと、特に新井保夫は右営業所内に居住し、自動車運転手の採用、配車計画、運転手への指揮監督、運転手の研修にあたり、昭和四四年二月はじめころ被告柳原の面接試験を行つて、自ら採用を決定し、本件事故当時でも、被告柳原を指揮監督していたことが認められるが、被告引間が被告柳原を具体的に選任監督していたことを認めるにたりる証拠はない。
右認定事実によれば、被告引間を代理監督者ということはできないので、同被告に本件事故についての責任があるということはできない。
二 (被害者側の過失)
<証拠>によれば、原告勝治同ノブの二男が晋平であり、三男が三郎であること、三郎は生前埼玉県川口市大字蓮沼二九八番地で、妻の原告貞子らとともに、鮮魚小売商を営んでいたこと、晋平は肩書住所地(編注―新潟県)で、同原告らと同居し、農業に従事し、毎年農閑期には、東京都中央区築地五丁目二番一号株式会社フシアキに雑役夫として出稼ぎできていたこと(この点は当事者間に争いがない)例年どおり、晋平は昭和四三年一一月二六日ごろから勤務し三郎方に止宿し、毎朝午前四時二〇分ころ三郎方を出て、同会社に午前五時一〇分から午後一時まで勤務し、午後二時ころ三郎方に帰り、三郎方の手伝をしていたこと、三郎は給料を支払わず、晋平は止宿料を支払つていなかつたこと、三郎が昭和四三年一二月一九日原告車を購入したので、鮮魚の仕入れに行く際晋平は出勤するため、三郎方から国電川口駅まで原告車に同乗していたこと、本件事故は出勤途中に発生したこと、三郎と晋平とは、右以外に、経済的に密接な関係がなかつたこと、晋平は、時折、同会社の寮に止宿することもあつたこと、甲号事件原告らと乙号事件原告らとは、遠隔地に住んでいたので、特に密接な交際をしていなかつたことが認められ、<証拠判断略>。
ところで、被害者が共同不法行為者の一方と身分上ないし生活関係上一体をなすとみられるような関係にあり、共同不法行為者の他方に損害の全額の賠償請求をすることが、公平の原則に反し、かつ共同不法行為者の他方に対し、その過失割合に応じた額の損害賠償請求だけを許容し、その余の損害賠償金額について、共同不法行為者の一方と被害者との内部関係により処理することにまかせても、被害者の救済として公平妥当であると認められる場合には、共同不法行為者の一方の過失を被害者側の過失とみて、被害者から共同不法行為者の他方に対する損害賠償請求額について過失相殺をすることができるものと解するが、前記認定の諸事情だけでは、晋平と三郎とが生活関係上一体をなしているということができず、また晋平側から被告らに対し、損害の全額の賠償請求をすることが公平の原則に反するともいいがたく、むしろ、三郎側が求償を受けた際に、晋平側に格別の温情心があれば、三郎側への援助を期待した方が妥当である。従つて、三郎の過失を被害者側の過失ということはできない。しかし、晋平側の慰藉料の算定にあたつては、右認定の諸事情および三郎の過失を一つの資料に供することができるものと解する。
三 相殺
<証拠>によれば、被告会社は、本件事故により三一一、一一〇円(編注―被告車修理費・休車損)相当の損害を被つたものというべきところ、前記の過失割合を考慮すると、一二五、〇〇〇円の損害賠償を請求できるものというべく、<中略>従つて、右損害賠償債権のうち一二五、〇〇〇円が相殺により消滅したものというべきである。
四 晋平の損害(逸失利益)
(一) 農業関係
<証拠>によれば、晋平は妻の原告ヒサ、子である原告智子、同浩一、同賢吾、同節子および父母の原告勝治、同ノブと同居し、原告ヒサとともに田一二九アール、畑二九アールを耕作し、昭和四三年度では米六四八〇キログラムを収穫し、その価額が九〇二、八八〇円以上であつたこと、このうちから、諸経費および原告ヒサの寄与部分を控除した残額の純利益が四六六、九四九円以上であつたこと、次に晋平は同じく原告ヒサとともに、しいたけ、なめこを栽培し、昭和四三年一〇月から昭和四四年四月下旬ころまで一〇万円以上のしいたけ、なめこを収穫したこと、その生産費は二万円であつたこと、晋平は、後記のとおり、右期間中出稼ぎしていたため、右期間前に栽培の準備にあたつていたが、晋平の労働の寄与部分は純利益の八万円の二〇%にあたる一六、〇〇〇円であつたことが認められる。従つて、晋平の農業の純利益は一年間四八二、九四九円であつたということができる。 (鹿山春男)